池田 篤カルテット 2009.2.23
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8:44 JR中央本線高尾駅から小淵沢行きの普通列車に乗車。8:53 相模湖駅に到着。
9:00 相模湖駅出発。
9:10 相模湖大橋を渡る。橋の上では数人が釣りをしている。相模湖大橋は、相模ダムのすぐ上流側で.相模湖を渡る道路橋。相模湖に架かる橋を代表する橋である。下路式鋼ローゼ橋で橋長135m、幅員10mの堂々たる大型アーチ橋。昭和46年に完成した。
神奈川県相模ダムの背後には景信山と明王峠を結ぶ尾根が見える。相模ダムは、昭和22年に完成し、神奈川県で最初の大規模な人造湖・相模湖を形成、その貯水容量を利用し、相模発電所を経由して下流の沼本ダムから水道用水などを安定的に供給し、相模川の水を多目的に利用している。
しばらく一般道を歩く。9:30 神奈川県立津久井養護学校の手前を左へ。
弁天橋へ向かってゆるやかな坂道を下る。
9:35 弁天橋を渡る。弁天橋は、津久井湖上流部に架かる人道橋のつり橋で、東海自然歩道の橋として利用されている。橋長72mの鋼吊橋で、幅員は1.5m。つり橋は軽くて風による揺れが生じやすいために、下側面にも揺れ防止用のケーブルが張られている。補剛桁は鈑桁構造である。昭和61年に建設されたもので、観光用の橋として愛されている。
千木良へ向かう途中で振り返ると今渡ってきた弁天橋、正面には富士山も見える。(写真では見えないかも・・・)
9:50 千木良交差点を渡る。
10:00 富士見茶屋
標高400m付近から急登となる。
10:30 送電線鉄塔付近(標高460m)から振り返ると、相模湖の向こうには富士山を望むことができる。
行き交う人もなくとても静か。
11:00 小仏城山(670.3m)に到着。霜解けで足元はぐちゃぐちゃ。ここで少し休憩
城山茶屋では多くの登山客が休んでいる。
11:30 小仏峠
景信山へ向けて尾根道を歩く。尾根道は銀座通り。何十人ものhikerやjoggerとすれ違う。静かな山歩きとは無縁の場所である。
11:55 景信山(727m)に到着。ここで昼ごはん。
正面には高尾山が見える。
霞んでいるが、富士山も見える。
景信茶屋でも多くの登山客が休んでいる。
12:25 堂所山へ向けて出発。
アップダウウンを繰り返しながら尾根道を歩く。巻き道なんか歩きません。
堂所山まであと50mのところで急登となる。
13:10 堂所山(733m)に到着。ベンチがあるだけの小峰である。その昔、武田信玄が北条と合戦の時、鐘によって敵の情報を知らせるための鐘つき堂のあった跡でその名前がつけられたそうだ。
西に展望が開けている。手前に陣馬山、遠くには雲取山を望むことができる。
尾根道に戻り、杉林を抜け・・
13:40 明王峠(738.9m)に到着。ここで少し休憩
不動明王尊が祀られている。武田家の武運を祈願した所と伝えられている。
13:55 与瀬神社に向けて下山開始。
14:05 石投げ地蔵嬢ケ塚。小石を積み重ねた小塚がある。
14:15 矢ノ音(633m)と呼ばれる分岐点を通過。
15:00 与瀬神社に到着。
階段を下る。
線路脇の小道を通る。
15:27発 中央線特別快速東京行きに乗って帰途に着く。
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8:55 京王電鉄(http://www.keio.co.jp/)多摩境駅出発。1991年4月6日に開業した新しい駅。駅名の由来は、多摩ニュータウンの境であること、東京都と神奈川県の境であること、駅の近くに境川が流れているとのことである。
駅前の町有橋からの眺め。正面には宮が瀬湖周辺前衛の山々、奥には丹沢の山並みが見える。
9:00 小山白山公園
9:05 都史跡 町田市田端環状積石遺構
看板には「縄文時代後期中頃から晩期中頃(約3,500~2,800年前)にいたるまで連続的に構築された遺構」とある。
町田市立小山田端自然公園、小山観音谷戸緑地を経て
樹齢450年以上とも言われる「かや」の木の実。食べてみたがまずかった。戦後の物資不足の頃は、実から油を絞っていたそうだ。なるほど・・
看板には「1997年(平成9年)7月に多摩ニュータウンの造成中に発見された、№313遺跡1号横穴墓をもとに築造したもの」とある。
町田市立久保谷戸緑地を経て
10:34 「蚕種石(こたねいし)」へ この石は、養蚕農家の人たちが蚕の守護神として長い間信仰してきたものだそうで、八十八夜が近づくと緑色に変化すると伝えられ信仰されてきたとのことである。
国道16号線を渡り
しばらく歩くと林の中にNTTdocomoのアンテナが見えてくる。
途中で、犬の散歩をする男性、ウォーキングをするご夫婦とすれ違った。
看板には「この七国・相原特別緑地保全地区は、多摩丘陵に上に位置し、尾根道を境として八王子市と町田市に2市にまたがる面積約39.8ヘクタールの緑地」とある。
石碑には湯殿山、月山、羽黒山供養塔。天保10年と刻まれている。
七国峠は、相模、甲斐、駿河、伊豆、上野、下野及び常陸の7つの国が見渡せたことからそのように呼ばれたとのことです。(『新編武蔵風土記稿』から)七国峠・鎌倉古道は、今から800年前頃、幕府のあった鎌倉をめざして上州(群馬県)や武州北部(埼玉県)の武士たちが駆けつけた伝説の鎌倉古道跡である。見かけの幅は6~8メートルもあり、深い堀割状の遺構が峠付近にかけて残っている。古くは奈良時代頃にはすでに使用されていたとも考えられるが、また明治時代には相模川から海路で横浜へと絹製品を運ぶ「絹の道」ともなったとのことです。ふむふむ
さらに尾根道を下る。
12:55 相原中央公園のグランド脇に出るが、再び尾根道(鎌倉古道)へ。
13:10 バス停真米を経て、長者窪方面へ向かう。
13:30 町田市立相原中央公園(公園面積157,230.91㎡)到着。ここでちょっと休憩。
相原丸山団地を抜ける。可愛らしい石の人形。このお宅のお子さんが造ったのだろう。
青木梅園の脇を通り
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小田急線「新松田」駅から8:15発JR御殿場線山北駅行きの富士急湘南バス(http://www.fujikyu.co.jp/syonan/)に乗車。
8:26 高松山入口バス停に到着。
道路を渡ると高松山方面の看板がある。山頂まで2時間5分の道のりである。
東名高速道路の下をくぐる。
青い橋を渡る。
しばらく舗装された農道を登る。
農道入口から30分で登山道入口に到着。目指すビリ堂まで1時間10分である。
竹のトンネルを登り、
神奈川県の水源協定林を抜け、
10:10 ビリ堂と呼ばれる馬頭観音の石碑に到着。ビリ堂のいわれ由来は、一番ビリ、最後にある観音堂のためビリ堂と呼ばれているそうである。「朝日はや、びり堂山の観世音、庭の千草も、春となるらん」
やがて急登となる。
さらに登ると登山道は荒れた状態。
一部崩落した箇所もある。
10:40 山の稜線に出る。
尾根を5分ほど登ると山頂である。
10:45 山頂到着。誰もいません。
頂上の標識はあるが・・・山の名前がない。
山頂から富士山が見えます。
雲ひとつない晴天です。飛行機も飛んでいます。
お昼ごはんはインスタントラーメンです。
11:37 早々、下山です。
12:05 登山道終了。尺里(ひさり)方面へ。
途中で振り返ると高松山が見える。
富士山が綺麗に見える。
え~っここを下るの
看板に高松名勝「山ゆりの滝」と書いてある。「水の音に誘われて見る山ゆりの滝」
さらに下ると、中日本高速道路㈱の看板がある。第二東名高速道路の暫定施工4車線上り線中心点とある。(http://www.c-nexco.co.jp/)
13:25 農道の終点。ビリ堂への分岐点。
13:47 高松山入口バス停到着。
14:19発小田急線新松田行きのバスで帰途に着く。
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JR横須賀線「北鎌倉」駅(9:55)~葛原岡ハイキングコース(10:10)~天柱峰(10:20)~葛原岡神社(10:30)~銭洗弁天(11:10)~源氏山(11:30~12:10)~大仏ハイキングコース(12:20)~樹ガーデン(12:40~13:20)~長谷配水池(13:50)~江ノ島電鉄「極楽寺」駅(14:15)
JR横須賀線「北鎌倉」駅
鎌倉五山の一つ「浄智寺」の脇から葛岡原ハイキングコースへ
足元注意!
中国大陸から来朝した高僧「竺仙梵僊」が好んだ場所との謂れがある
「くずはらおかじんじゃ」と発音標記
元弘元年(1331年)後醍醐天皇の側近として鎌倉時代に活躍した「日野俊基卿」の功績が明治維新後に認められ、終焉のこの地に祀られたもの
種のまわりの皮に石鹸の性質もあるそうだ
水を付けて擦ると泡が出ます ・学名 Sapindus mukurossi
Sapindus(サピンダス)は、ラテン語の
「sapo indicus(インドの石鹸)」が語源
天下安泰を願う源頼朝に、巳の年の1185年(文治1)、巳の月、巳の日の夜、「この水で神仏を供養すれば天下は太平に治まる」という夢のお告げがあり建てられたと伝える。その後、北条時頼が銭をここの水で洗い、一家繁栄を祈ったことにならい、人々が銭を洗って幸福利益を願うようになったという。銭洗水は鎌倉五名水の一つ。
「とび」にお弁当を取られないように!
標識はない
途中左手には材木座海岸、逗子マリーナが見える
タイワンリスを発見!
ここでチョット休憩
ここからの眺めもすばらしい
とても暖かそう
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